杉沢村

杉沢村とは、青森県青森市にある村・集落の心霊スポットです。

杉沢村で何があった?どんな心霊現象や事件が起きた?杉沢村で実際に体験した危険で怖い話や心霊ユーチューバー達のやばい探索動画を紹介します。

杉沢村 - 全国心霊マップでは写真や口コミも公開しています。

更新日:2023/12/01

杉沢村の地図

杉沢村は「〒030-0144 青森県青森市大別内山吹117」にあります。詳しい場所はGoogleマップを参考にしてみてください。

杉沢村の恐怖体験談

杉沢村で本当に起きた恐怖体験談です。ただの怖い話とは違う実話ならではのリアルな恐怖を感じるはずです。

杉沢村伝説の誕生

杉沢村で起きた怖い話第1話

 わたくしは恐怖やホラーとしての杉沢村には興味が無いのだ。杉沢村の本当の歴史に数日間だけ時間を割いてみようと思った。1.入り口に古い鳥居がある。在りそうだと思った。2.どくろのような岩。見ようによっては見えるのかもしれない。3.廃墟がある。在りそうだと思った。4.大量殺戮と犯行者の自殺。自然災害なのではないかと思った。5.血の跡がある。洪水などの跡ではないかと思った。6.村は地図から消滅した。村ごと転居すれば消えると思った。
 わたくしは今千葉県K市に住んでいる。戸籍上の祖父は青森出身であり、従業員もみな青森の出身である。祖父が東京で開いた店はひのきと並び浴槽に重宝される青森ひばという木材問屋であり、青森出身の父が継いだ店である。東京の下町、深川木場にある店の裏は運河になっていて、コンクリート製の堤防に切り欠きがある。満潮時にはこの切り欠きの両溝に木製の羽目板を差込んで水の流入を防ぐ構造になっている。青森県の山奥で伐採された丸太は付近の沢に流して、比較的広い川で筏(いかだ)を作る。急流の丸太流しである。筏は一列に繋がれて河口から船で東京湾へ運ばれる。そうして運河を通り目的の材木店へやってくるのだ。水位のタイミングを見図り羽目板を外し、丸太を荷揚げする。
 やがて国鉄東北本線や奥羽本線経由で東京の小名木川貨物駅へ輸送し、トラックで店まで運ぶようになる。
 国道が東京から青森まで開通すると、青森で製材した木材を長距離大型トラックで店まで運ぶようになった。
 わたくしが今持っている戸籍謄本によると、文政元年(1818年)まで辿る事ができる。徳川江戸幕府の時代にもかかわらず戸籍謄本があるというのは、厳しい自然と不作飢餓飢饉から逃げるために脱藩する者を取り締まるためであろう事は想像に難くない。
 わたくしには妹が居るのだが、家系図や戸籍には興味が全く無いらしい。幼い頃から葬儀などで今はもうこの世に居ない親戚の顔と、お互いの呼び合いで名前をおぼろげに覚えている。今となっては家系図を正確に書けるのはわたくしだけになった。青森縣東津軽郡XX村というのが現在の青森県青森市である。期待していた方には気の毒だがXX村は杉沢では、もちろんない。
 しかし青森県の山奥から沢流しで丸太を運んでいて、杉沢村事件が伝わって来ないのが不可思議である。沢ではない土地に沢の文字が入る地名が付く事はまず無いであろう。
 だがわたくしの地図読みの感が、あるエリアを集中して指し示している。「杉沢」を検索した方が多く居る事と思うが、青森県、岩手県、秋田県、福島県、滋賀県に行き着いた人は大勢居ると思う。これは寒い地域に杉が多く自生していて、それらを一望した結果「この谷は杉の多い沢だ」「あっちの谷は杉ばかりの沢だ」そして地元の人の間で「杉沢」「杉ヶ沢」「杉澤」と呼ばれていたのだろう。そしていつしか集落の名前になり、やがて村の名前になった。地図を見て場所と周辺を確認する。青森県三戸郡南部町杉沢……。
 話は若干ずれるが「N戸」と呼ばれる地名が青森県太平洋側南部に集中している。Nの中身は一から九で、四は無い。そして一戸、二戸、九戸は青森県ではないのである。杉沢村は青森県にあるといわれているが、本当だろうか。少なくとも青森県三戸郡南部町杉沢は、真なる杉沢村やその縁の集落ではない。地主の方が「奇跡体験アンビリバボー」のスタッフに無断進入されて困っている旨を伝え、もし本当の杉沢村が見つかったなら教えて欲しいと言っていた。わたくしも太平洋岸や陸奥湾ではないだろうと、前記の丸太流しを理由により思っていた。 
 とりあえず青森県の歴史と岩手県の歴史をながめてみる事にした。明治9年1876年、二戸郡に含まれていた一戸、二戸、九戸は青森県から岩手県へ編入されたという。
 明治元年に野辺地戦争という歴史があった。青森県の前身弘前藩の兵が、盛岡藩兵・八戸藩兵と交戦した。時系列が前後したがこの頃に廃藩置県が行われていく。
 さて大正を飛び越し時代は昭和に入り、太平洋戦争中の昭和20年(1945年)青森県の赤石川で雪泥流が発生、鯵ヶ沢町大然地区で死者87名、流失家屋20棟の被害。
 戦後の昭和50年(1975年)岩木山蔵助沢で土石流が発生、岩木町(現:弘前市)百沢地区で死者22名、重軽傷者31名、全壊流失家屋17戸、半壊9戸の被害。
 この2つの自然災害と、現在でもある青森県中津軽郡西目屋杉ヶ沢集落の位置関係を見ると、岩木山を中心にしているのだ。赤石川は北北西へ下り日本海へ流れ込んでいる。そして蔵助沢は南南東へ下る。青森県中津軽郡西目屋杉ヶ沢は岩木山麓で大秋川を挟んで南の高台に位置している。杉ヶ沢に沢は無いのである。
 昭和50年8月6日未明、続く集中豪雨のもと、岩木火山の南麓に大規模な土石流が発生した。柴柄沢・平沢・滝の沢・毒蛇沢・蔵助沢・後根沢などそのほとんどが南麓および南東麓を流れ下る開折谷沿いに発生した。この内南東麓の蔵助沢を流れ下った土石流は集落密集地の百沢地区を横断していたため前記のような大被害を受けた。岩木山百沢スキー場を斜めに下り、岩木山神社の上部をかすめて、県道3号線から神社へ至る道の下部に堆積した。笹平、田川という地名の間に高田という地名があり、そこが堆積した土砂である。難を逃れた人々が大秋川を土石流の緩衝地帯として、更なる安全な高台へ移転したのだとすれば杉ヶ沢という地名にも納得できる。また高田と杉ヶ沢の距離は直線で4.6km、百沢地区と杉ヶ沢の距離も直線で5.3km程度である。県道3号線から県道204号線を南下、狭い道へ左折するとたどり着ける。目印は見当たらない。
 岩木山神社から上のスキー場にかけて「鬱蒼とした杉林」との記述があり、植生は杉である事が判った。ゆえに杉沢と呼ばれるに十分と思われる。沢は蔵助沢である。
 なおこの県道3号線は、昭和20年の雪泥流に遭った鯵ヶ沢町へと続く道でもある。しかし県道3号線は明石川の隣の沢を下るので被災地区を通らない。明石川の被災地は今、白神キャンプ場になっている。県道191号線を明石川沿いに登ってくればたどり着ける。赤石川を渡る県道190号線の橋から上流側に高倉神社があり、それは赤石川の中州に建っている。この神社の由来はまだ不明である。
 どれもが青森県弘前市からドライブするにはちょうどいい。
 赤石川に昭和30年(1955年)完成のダムが造られた。白神山地との境界付近だそうだ。ダム湖の湖底に沈んだ村があるのかは不明である。
 浪岡川に昭和63年(1988年)完成のダムが造られた。ダム湖に沈んだ村があるのかは不明である。

杉沢村の心スポ探索動画

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