聖地なのは、確かかもしれません。ほかの宮崎の地元の方、歴史を知らない方が多すぎるので言わせて頂きますが、仏舎利塔周辺の一帯は、元々戦国時代にお城があったのですよ。山城です。
紫波洲崎城というお城があった場所です。応永年間(1394年~1428年)長井氏によって築かれ後に伊東氏の所領となり川崎五郎左衛門が城主となった場所なので霊感のある方は、鎧武者の霊を見た人も何人かおられますね。
私も霊感強いので色々な話をさせていただきますね。本丸があった場所が展望台です。
なぜか展望台から縄かけて首を吊るひとも結構いましたがニュースになりません。太い大ぶりの木に自殺する方もいて心霊スポットのようになり木を近くの支所の職員が伐採してきれいに整備したこと。
そこの地は、今は仏舎利塔があるわけですが尼さんから聞いた話、その仏舎利塔の中には、人骨がいくつもあり大事にまつられ供養されているようです。身寄りのない方、またその仏様にささげた人のものもあるのだと思います。定期的に尼さんのような方が供養しておられます。
実際にあった話で、それこそ30年前20年前に色々実話で聞いた話ですが何も知らないヤンキーがその塔におしっこをかけたそうです。帰りにバイク事故で帰らぬ人になり亡くなりました。
夜、その塔でカップルでいちゃいちゃしていた人が帰りに事故にあい男性が半身不随となりました。
また暴走族がブンブンふかしていたら怒りをかったのか、1週間声を出せなくさせてしまったのも声が出なくなった人の友達経由から聞きました。
そして仏舎利の離れに心霊スポットというのを払拭させようと地元住民や支所の方が整備をしていると刀を持った不動明王が沢山出てきたそうです。それらには、明治時代かその前か、僧侶が魂入れまでしているのに現代人は気づきません。
こんなのは、ここにあっては邪魔だと、どっか端っこに動かそうとした議員の奥さんが触れたために倒れました。高熱にうなされて1週間寝込んでしまいました。
それらの不動王明は、石で作られた石像ですが、それは魂が入れられてるので生きていまして戦国時代にそこで沢山亡くなった侍の供養も含め、色んな方の供養をするために全ての人を救済する目的で置かれていたものでした。
個人のこんなとこあったら邪魔じゃないという感情で僧侶が魂いれたものをどかそうとしたので、たたった訳です。
私が言いたいのは、仏舎利は夕暮れから夜はいかないでください。
静かに眠らせてください。 私の知った女性でノー天気な女が本丸のあった所で食事をしようとして食べたものの直後に職場に戻ろうとすると車がなぜか止まって故障したそうです。
そこでは激しい戦が幾度も繰り広げられた古戦場跡地であること、それと仏様にささげた人や身寄りのない人の骨を塔にまつって大事にされてることなど、軽々とふざけ感覚や心霊体験をしにやってくる場所ではありません。下手すると自殺者の霊からとりつかれることもあります。
逆に供養する気持ちで敬意をもって接すれば、悪さはされないでしょう。
また近くの白浜の海は、入水自殺が多く私が海に昔いったとき、そういった霊が半透明でそばにだんだんよって近づいてくるので逃げて難を逃れたことがありました。
白浜では浅瀬であまり長い時間泳がないことをおすすめします。よってきます。自殺者の霊が。
あと仏舎利では、今後も戦が起きないこと、亡くなった方々のご冥福をお祈りしますと真剣に祈りをささげたら、あなたには悪さしないでしょう。